IBMビッグブルーは創部40周年、私はヘッドコーチ就任7年目でパールボウルを初制覇することができました。多くの方々の支えがあって勝ち取ることができたタイトルであることは言うまでもありません。
今年は個人的にどうしても勝ちたい理由がありました。
4月に私の人生の恩師である鈴木智之さんが逝去されました。私は鈴木さんに教えていただいたことを指導者として実践していることを、結果を残して伝えたいと強く思っていました。
私のコーチとしてのフィロソフィーは、鈴木さんに教えていただいたことが基になっています。鈴木さんがフットボール界に残してきた功績と比べるのはおこがましいレベルですが、鈴木さんの教えを受けた者として、フットボール界のレジェンドであり、真のグローバルなリーダーの意志を継承していきたいと思い、鈴木さんとの思い出話をしたいと思います。
鈴木さんとの出会いは私が現役時代、アサヒ飲料チャレンジャーズ入部2年目の1998年でした。前年の1997年、チャレンジャーズはリーグ最下位となり入替戦出場と低迷していました。チームの再建のためにスペシャルアドバイザーに就任されたのが鈴木さんでした。
私にとっては大学の大先輩ですが、それまでほとんど交流がありませんでした。しかし、現役時代は関学を4年連続甲子園ボウル優勝に導いたスター選手であり、卒業後はビールの瓶詰、缶詰プラントを手掛ける会社を経営しながら「強力なライバルをつくることが母校のため、フットボール界のためになる」と、京大の水野彌一監督(現・立教大学シニア・アドバイザー)をサポートして京大の強化に取り組み、80〜90年代の関学・京大の熾烈なライバル関係を作り上げた影の立役者であることは聞いていました。
鈴木さんが手掛ける改革はとてつもないスピードで進んでいきました。当時、京大の攻撃コーディネーターだった藤田智さん(現富士通ヘッドコーチ)をヘッドコーチに招聘し、1年目でいきなりリーグ戦全勝優勝。2年目には今でもNFLアリゾナ・カージナルスで最年長コーチとして活躍されているトム・プラット・コーチを米国から招聘し、2000年には今回、パールボウルで対戦したLIXILの森清之ヘッドコーチを守備コーディネーターに招聘。指導基盤を整えて地区最下位だったチームを僅か3年でライスボウル王者にしてしまいました。
これまで見たこともないリーダーシップと遂行力に、私は一瞬にして鈴木さんの虜になりました。そして、私の人生観までも完全に変わってしまいました。
当時の私は、会社員として仕事とフットボールに取り組んでいました。しかし、退職してNFL選手になるという夢に挑戦することができたのも鈴木さんとの出会いがあったからです。その間、鈴木さんの会社に所属し、全面的にバックアップをしていただきました。私が日本人として初めて北米プロリーグ(XFL)でプレーできたのも、鈴木さんが親交の深い米国人コーチの人脈を辿ってくださったからです。
鈴木さんにはフットボールだけでなく、人生において大切なことをたくさん教えてもらいました。
私が今でも物事に取り組む時に大切にしている、鈴木さんが教えてくださった言葉を紹介します。
First Class(一流を知り、目指せ)
『どんなことでも一流を目指せ。二流を目指すならやるな』
常にそう言われてきました。当時、この言葉の意味が全く分かっていなかった私に対し、鈴木さんは毎練習後に自分では到底行けないような高級レストランに連れていき、ごちそうをしてくださいました。最初はただ美味しくて夢中でご馳走になっていただけでしたが、段々と一流の食べ物とそうでないものの違いが分かってきました。しかも、鈴木さんと一緒に行くと料理長と話ができました。その時に、『一流とそうでないものの違いは、細部へのこだわりの違いだ』ということを教えていただきました。見た目はそれほど変わらなくても、一見すると見えない細かい部分までとことんこだわることができるか。当たり前と言われていることを誰も真似ができないレベルまでこだわってできるか。それが一流とそうでないものの違いだということを一流のシェフが作る一流の料理を通して教えていただきました。
これは自分のチーム作りの原点です。
Something New,
Something Different
(新しいこと、人と違うことをしろ)
常に人と違う新しいことをやれ、と、鈴木さんは口癖のようにおっしゃっていました。これは現役を終えて、自分のセカンドキャリアを形成する上で、とても重要なキーワードでした。鈴木さんの会社で私は本当にたくさんのことをチャレンジさせていだたきました。アリーナフットボールを日本に広めること、日本人でアリーナフットボールチーム“『侍ウォリアーズ』を結成して、米国のプロチームと対戦したことなどは、その一つでした。本来、利益やリスクなどを考えると実行できないような事業でも、これまでにない新しい事であればチャレンジさせてくださいました。失敗もたくさんしました。しかし、鈴木さんはその失敗も「次の新しい何かを生み出すために必要なこと」だと言って、いつも笑顔で見守ってくれました。その器の大きさに感謝してもしきれません。
ビッグブルーのチーム作りには常に鈴木さんの言葉を意識して行ってきました。ヘッドコーチ就任2シーズン後、このままでは勝てるチームを作れないと確信した時に鈴木さんの言葉を思い出しました。その答えが米国人QBを獲得するという選択でした。人がやっていない新しいことをやる。これを徹底的にやり続ける。
新しいものはやがて古くなるし、真似をされます。変化と進化、失敗を恐れずやり続ける。この考え方はチーム作りをしている上で最も大切であると実感しています。
そして最後にもう一つ。鈴木さんの外国人への接し方は今でも参考にさせていただいています。チャック・ミルズ氏、NFLコミッショナーのロジャー・グッデル氏、ローマ法王など、相手がどんな人でも何も動ずることなく接しているのを目の当たりにした時は、本当に驚きでした。鈴木さんはいつも強気な態度で、自分の主張ははっきりとされていました。同時に相手へのリスペクトの気持ちを示し、手紙を書き、アフターフォローをしっかりされていました。鈴木さんは勉強熱心で、英語とドイツ語を流暢に使いこなしていました。この交渉力のおかげで私だけでなく、いろんな選手が海外に挑戦できるようになったわけです。
現在はコーチとして、JAFAの一員として海外との交渉を任されることも多々ありますが、そんな時は鈴木さんの交渉力をいつも思い出しながら取り組んでいます。
鈴木さんは言葉だけでなく、それを実行できる遂行力、人脈、人間力、そして相手が驚くような斬新なアイディアを持った、本当にいろんな人を惹きつけることができる磁石のような方でした。
フットボール界だけでなく、ビジネス界そして音楽や文化の世界でも本当にたくさんの功績を残されてきました。
鈴木さんの意志をフットボール界で引き継ぎ、還元することが鈴木さんへの恩返しだと思っています。これからも一流を目指し続け、人が取り組んでいない新しいことに挑戦し続けて鈴木さんに少しでも近づくことが私の人生の目標です。
まだまだ道のりは長いですが、どうか天国で安らかに美味しいビールでも飲みながら見守っていてください。
IBM BigBlueヘッドコーチ◎山田晋三