2014~15年はLIXILディアーズのチアリーダーとして活動した伊藤さん
photo: 後藤邦仁
Xリーグ所属チームのチアリーダーの中から3名がNFLチアリーダーのオーディションに合格した。その中の一人、元LIXILディアーズチアリーダーの伊藤奈美さんは、同志社国際高校時代はフットボール部のマネージャーだったという異色の経歴の持ち主だ。なぜ、マネージャーからチアリーダーに転身したのか。高校時代の思い出と、転身の理由、そしてNFLチアリーダーとしてのビジョンを伊藤さんに訊いた。
同志社国際高ではフットボール部のマネージャーになった経緯を教えてください。
伊藤 同志社国際中学3年生のときに、フットボール部監督の坂本先生に社会科の授業を習っていました。高校入学前に「マネージャーにならないか」と誘っていただき、グラウンドに見学に行きました。
鳴り響くホイッスル、選手同士のぶつかり合う音、ワン・オン・ワンの真剣勝負、グラウンドの匂い…。アメリカンフットボールというスポーツに、すぐに惚れ込みました。
それに、フットボールは選手数、ポジションの数がすごく多いですよね? 同志社国際高ではポジションごとにマネージャーが配置されて、練習メニューを把握する役割を担っていたため、マネージャーがチームの役に立てる役割だとすぐに分かりました。
見学した次の日には、入部届けを提出していました。

同志社国際高マネージャー時代(写真右)
マネージャー時代の思い出、エピソードを教えて下さい。
伊藤 坂本先生からは数え切れないほど、たくさんのことを学びました。
選手のウォームアップ中やタイヤ押しの時に「プラス2ヤード! 限界を作るな!」と、いつも選手に発破をかけていました。もう高校を卒業して7年になりますが、今でもトレーニングで追い込んでいる時などは、坂本先生の『プラス2ヤード』を思い出して、「もうちょっとだけ頑張ろう! 限界突破」と、自分に気合いを入れています。今回のオーディション中も毎日6キロ走っていたので、そのたびに『プラス2ヤード』を心がけていました。
楽しかったのは、日々の練習ですね。
雨の日も、吹雪の日も、夏休みも、雷雨の日以外(笑)はどんなときも練習していましたので、思い出すのは練習のシーンばかりです。
日々の練習を通して、選手の成長をみるのが楽しみでした。
ベンチプレスを一定のレベルあげないと試合に出場できない決まりがあったので、ずっとクリアできなかった選手が、挙げられるようになったときは自分のことのようにとても嬉しかったですね!
3年間の部活動を通して、選手は体格・パフォーマンススキルが向上するだけでなく、言動やメンタルの成長が大きく見受けられました。グラウンドは、人間形成の場だと感じました。
それに、ビデオ撮影が大好きでした。
マネージャーは、日々の練習や試合中は、ドリンクや氷を作ったり、テーピングしたり、作業がとても多く、プレーを集中してみれる時間がほとんどありません。でも唯一ビデオ撮影の担当になったときは、プレーが隅々まで見ることができるので、私にとっては至福の時間でした。オフの日も、よく王子スタジアムやエキスポに他校のチームの試合のビデオ撮影に行っていました。朝早くから行って、3試合分撮って帰ることもしばしば。選手がスカウティングしやすいように、うまくプレーが撮れるよう、同期のアメマネ4人とよく話し合って、練習していました。
日々の積み重ねの大切さ、チームワークの重要性、親や周囲の方々に感謝すること、私の高校3年間は、すべてフットボールから学んだことばかりです。
チアリーダーになろうと思った経緯を教えて下さい。
伊藤 フットボールが大好きすぎて、NFLにどうしても行きたくて…。
最初は選手になろうかと悩みました。なんで自分は男に生まれなかったのか、と親を恨んだくらいです。(笑)
そんなある日、母に新聞に取り上げられている日本人のNFLチアリーダーの記事を見せてもらい、女性に生まれたのだから、女性にしかできない事でトップの世界にいきたいと思い始め、NFLチアリーダーを目指すことにしました。中学時代はバレーボール部でしたが、子供の頃からバレエ、ジャズダンス、アイススケート、ストリートダンスを習っていたので、踊ることは好きでした。
伊藤さんは大学時代からXリーグのチアリーダーとしてアズワン、LIXILなどでチアリーダーとして活動されていました。何故、大学のチアリーディング部に所属しなかったのですか?
伊藤 同志社大の応援団に所属しなかったのは、フットボールの応援にこだわったからです。XリーグのチアリーダーがNFLチアリーダーのスタイルに一番近かったというのも応援団に所属しなかった理由の一つです。
NFLチアリーダーには何度挑戦したのですか?
伊藤 今回で3度目の挑戦です。3度目の正直です(笑)
1回目が4年前の大学3年生のときです。インディアナで初めてスーパーボウルが開催される!と聞き、インディアナに留学を決めました。留学終了間際に、初めてNFLのオーディションにトライアウトしましたが、オーディション直前に尾てい骨の骨折と足首の捻挫をしてしまいました。骨折しながらトライアウトに挑戦し、ファイナルに進出しましたが、帰りの飛行機は身も心もボロボロでした。初めての挑戦は、苦い思い出です。(笑)
昨年は、サンフランシスコ・フォーティーナーズ、NYジェッツ、マイアミ・ドルフィンズの3チームを受験しました。全3チームでファイナリストに選ばれ、最終選考に進みましたが、メンバーの座を掴み取ることができませんでした。
今年はNYジェッツのみです。昨年のオーディション以降、ジェッツに受かる夢を2ヶ月以上毎晩見て、ジェッツ以外考えられない、と思い、この1年間、ジェッツに受かるための準備をしてまいりました。
チアリーダーとしてのポリシー、NFLチアリーダーとして実現したいことを教えて下ください。
伊藤 ポリシーかどうか分かりませんが、ユニフォームを着ていても着ていなくても、チアリーダーでいることです。
フットボールを心から愛し、友達や家族を大切にし、 周りを笑顔にする努力をすること。このようなチアスピリット(=常に笑顔で人を応援し元気づける) は、パフォーマンスや笑顔の質を左右すると信じています。
私の(熱くるしいくらいの)熱い想いが観客や選手に届くようなパフォーマンスをしたいと思っています。
早くフィールドで、8万人のファンの前で踊りたいです。そして、やっぱり勝ちたいです!昨シーズンは惜しくもプレーオフに進出できなかったので、今年はプレーオフに進出して、スーパーボウルへ!!

ゴールデンウイーク中に母校に訪問。恩師の同志社国際高・坂本智宏監督に合格を報告した